花街(はなまちorかがい)と言えば料亭等が立ち並び、料理とお酒をたしなみながら、芸鼓さんの芸を楽しむというイメージがあります。

京都で一番有名な花街は何といっても祇園になります。

今回紹介する島原は、かつてそんな祇園と同じくらい賑やかだった花街でした。

現在は一体どうなっているのか?歩いてみる事にしました。



島原ってどこにあるの?


ざっくり見ると↓



島原は京都の中心地の中でも割と端の方に位置していて、近くにJRの高架が通っているという所からもそれが解ると思います。(条例的なものによって、京都の中心地は高架が建てられない)

一番解りやすい行き方は七条通りから壬生川通りに上がっていく方法で、「島原大門」を目指すというものです。




島原の入り口(?)は何ヶ所かあるのですが、「ここからが島原です」という境界線みたいなものは薄いので、↑の島原大門から入るのが一番ベターです。


他の入り口。他の入り口もこんな感じで、地面がアスファルトではなくなるので解りやすいと思います。


島原というのは地名ではなく、豊臣秀吉の時代にこの花街自体が短期間で移動になったりと、バタバタした時があって、ちょうどその頃九州の「島原の乱」があった直後でそれになぞらえてそう呼ばれるようになりました。

島原ってどんな所?


このサイトのカテゴリーに「京都観光」と「京都街歩き」というのがあるのですが、この島原はどちらに入れようか迷いました。

誤解されている方もいらっしゃると思うのですが、現在の島原は花街ではありません。

料亭みたいな所もありませんし、後述しますが夜も大勢で賑わっているという訳ではありません。

では、島原には何があるのかと言いますと、

・民家(住宅)
・歴史的建造物
・飲食店(喫茶店等)
・ギャラリー
・銭湯
・宿
があり、パッと見た感じは民家が大半で、一般の方が普通に生活されている所になります。

その中で歴史的建造物もあり、そこを訪ねてこられる方もいるので、普通の住宅街よりも見知らぬ人がよく歩いているという感じです。




↑2枚の写真が現在の島原の街並みになります。昔風な建物もあれば現代の住宅もあり、ありのままの島原を如実に表しています。


ニ軒の歴史的建造物



島原には「角屋(すみや)」と「輪違屋(わちがいや)」というニ軒の歴史的建造物があります。

角屋は今でいう所の料亭になり食事をしながら芸鼓さんの踊り等を楽しめる場になり、輪違屋はその芸鼓さんが待機する場所で、ここで生活もしています。

角屋に関しては期間限定で公開もされており、当時のお店の様子を見る事が出来ます。


夜の島原


前述したように現在の島原は花街ではありません。

ですが、かつて物凄い賑わいであったであろう夜は一体どんな感じなのか?

ちょっと気になったので調べてみました。


静かです


結論から言えば静かです。

料亭等の夜のお店もありませんし、昼のお店は営業終了しているので、おのずとそうなります。




旅館の軒先からあたたかい光が。夜の撮影は寂しい。でもこれも旅の醍醐味かな。






その中で唯一賑わいのある所


しかしその中で唯一賑わいのある所があります。それは銭湯です。

島原には「誠の湯」というスーパー銭湯的な所があり、周りが暗い中でひと際眩い光を放っています。







この近くにも銭湯があり、地元の方はこちらを利用するのでしょうか。





終わりに

島原という所は昔の花街の名残が残っている所で、現在は一般の方が暮らしている住宅地になります。

旅行雑誌等は名残の花街の部分のみをクローズアップする事が多いですが、今回はあえてありのままの島原をご紹介しました。

それによって興が削がれた感があるかもしれませんが、京都とて決してテーマパークではありませんから、そういうものだと思います。
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